■11日水曜日だけじゃなくて,8月14日土曜日のエントリも抜けてる。
場所だけあけとく。
twitterのログも少ないが,この数日は父の容体に変化があった。
お盆の期間中は毎日でも会いに行ってあげないといけないし,できたはずなのに,12日木曜日には行くことができず,行けた日も必要とされるときに居合わせられたとは言い難い。
身のふりの軽さが自分ならではのメリットでありアテにしてもらえるところなのでとても痛かった。
■父親の容体は,急を要することはないと自分は思っているのだが,母はもっと細かいところを見ていて,細やかなケアをしている。
看護師や医師が気付かないことももちろん気付いて,看護師や医師の認識と対応に焦燥感をおぼえつつ過ごしている。
母がそうして一般に許された病院の見舞い時間に制約されず父のそばにできるかぎりいて,父の様子と看護の様子を見てきたからこそ,父がいまも生きている。それは確実。
■今回の父の件でわかったのは,医師の腕は,その患者にどれだけ情熱を注いでくれているかにほぼ正比例するということと,それ以上に入院患者の生死はグループとしての看護師のケアにかかっているということ。
そして,見舞う家族がどれだけ熱心であるかということ。
その3つが揃えば1年の命が3年5年になっていく。
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