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2014年1月4日土曜日

1月4日Sat.の「月例坐禅会」

■1月4日は、1月最初の土曜日。
毎月第一土曜日には、浅草・向島の曹洞宗 圓通寺(公式サイト)で、坐禅会がある。

先月は仕事で来られなかったけれど、そういことがなければ、毎月通っている。
たまには、そのことについて書こう。

圓通寺は、2011年7月に父が亡くなって、葬儀が終わってから探して、その後からお世話になっているお寺さん。

お墓は、父の生家のある、信州は佐久市に代々のものがあり、父のお骨はそこに納まっていて、法事のみ、こちらのお寺さんのお世話になっている。

四十九日法要が終わった後も、毎月の坐禅会があると知って、まず、母が通い始めた。
続いて自分も通うようになって、いまは母が行けない日も1人で行っている。

昨年に丸2年が過ぎて3回忌、ということは、坐禅会に通い始めて、2年近くになるのか。

■ちゃんとした坐禅は、そのときが初めてだった。

もともと小学生の頃から高校まで剣道をしていたので、こういう文化に親しみがある。

剣道では、稽古の始まりとと終わりに、正面に正座されている先生方の向かいに、並んで正座をして、「黙祷!(黙想、なのかもしれない)」の掛け声とともに、両手で印(法界定印:ほっかいじょういん)を組み、「やめ!」の掛け声(「なおれ!」だったかもしれない)で解いて、両手を前について「先生に礼!」顔を上げてもう一度、「お互いに礼!」。

あぐら座ではなくて正座だし、ほんの数十秒だけれど、あれも、坐禅のようなものだと思う。

お経については、中学校の修学旅行で日光に行った際に、オレンジ色の般若心経の冊子を自分へのおみやげにして、そのうちには暗唱できるようになった。
なんだか、興味があったんだね。

そのときはすでに、曹洞宗=般若心経は、禅宗であることを知っていた。
禅宗は、一般的に言うところの宗教や信仰、ときに攻撃的でさえあるそれらとはちと違って、哲学的というか理論的というか科学的というか。

小学生の高学年から中学生って、心も体も子供から大人への第一歩の年頃で、人間関係・友人関係・異性関係・親子関係のあれこれとか、ひいては、家出願望とか自殺願望とか、年齢的に、いろんな気づきがあって、感情のあれこれがあって、生きることの意味とか、哲学的なこともずいぶん考える時期だからね。

父の実家が、訊いても何教かわからんくらいの信心でありながら、葬式は曹洞宗であったので、般若心経だったし、漫画「はだしのゲン」で、ゲンがお経を詠む場面があるんだよね、それも般若心経だった。印象的で、記憶のどこかにあった。

■年末年始になると母の体調が悪くなる。

2007年の12月30日に、会社帰りに父が寄った大学病院で即入院と言われたけど、断って帰ってきて、例年通り、練馬で年明け。
父は床に寝てることが多かった。

明けて2008年1月4日から入院したのが、始まりで。

2008年1月5日Sat.「いまここ:父入院ス。

3年半の入退院、合計4回の開頭手術、合計2回のサイバーナイフ手術。

2011年7月20日Wed.「父が逝きました。

年末年始は、母にとって、精神的にも嫌なムードになるらしい。
そういう時期というか季節が、年に何度かある。

余談だけど、上記のエントリを探すために、「父が入院」と入れてmunelogを検索したら、2009年年末のまとめを書いたの(2009年12月29日Tue.「年賀ハガキはこれから。」)とか、いろいろヒットしてきて、その頃の思いの丈がぎっしり記述されていて、感慨深かった。



■話を戻して、今回の坐禅会。

14時に浅草駅のいつものところに待ち合わせ。
今回は、いつもの土曜日よりもうんと混んでいる。年始だからね。

交差点の歩道の混雑は、いつもどおりとはいえ、地下鉄のホームや改札は激混みだったし、普段に人が歩かないような道にまで人が来ている。
混雑の中で、数人で立ち止まったり、流れを遮るような動きをしている人も多い。

母と自分は、いつもどおり、遅めの昼食をしたり、お茶を飲んだりして、時間を調整する。



■言問橋を渡って、圓通寺。

根気強く継続され開催されているからか、スカイツリーが立って、そこからも程近いことからか、最近は毎回新しい参加者がある。
昨年からは、毎週日曜日の朝7時からも開かれているので、それもまた広めることにになっているんだと思う。

16時の開始前にいくと、初めての参加者に住職が説明をされている。
今回もそう。

この坐禅会は、このお寺にお墓を持っていたり、法事をお世話になっていなくても、どなたでも参加できる。
無料ではあるけど、みなさんいくらかは賽銭箱に入れられている様子。
自分もワンコイン、奉納?している。

坐禅は、だいたい40分程度。
だいたい、というのは、座ってから、開始の鐘が3つ鳴らされるまでの間も、しばらく住職のお話があることが多いから。
開始後に順に、警策(きょうさく)が打たれたあとは、ひたすら座る。
終了の鐘が3つ鳴らされて、終了。

坐禅の作法 | 曹洞宗 曹洞禅ネット

今回は、終了後に、足を崩して、年始の最初の坐禅会ですから、お経を唱えましょう、と、経本が配られて、参加のみんなで般若心経を唱えた。
これが良かった。

■帰り道。

帰路の母は、ゴキゲンになって、一緒に般若心経を唱えながら歩いた。

母は、父が亡くなって、自室に仏壇が来てから、そこでお経を唱えるようになったんで、経文をだいたい覚えている。
それは、父の天国での居心地を良くするものでもあると、住職に聞かされていたこともあるし、母として、父のために何かしていたいという気持ちの現われであると思う。

ここに来て、住職の顔を見ると安心する、とも言っていた。

以前に連れて行って、だましだまし歩かせたけど遠いと言われていたパン屋に行くという。
ほほー。それは良い。

歩く速度も、軽快。



石窯パン工房KAMEYA

パンを買って、お寺の近くを通りすぎ、夕食の場所を相談しつつ歩いて浅草へ。



昼食も、お茶も、夕食も、観光客があまり利用しない穴場といったところも、混雑がある日だった。



■最後に、ちょっとご案内。

日曜日の朝7時からの坐禅会には、一度は参加したいと思いつつ、まだ行けていない。

行くとしたら、自分1人で行く。もちろんそれも良し。
7時からの坐禅で8時、朝食を軽くして、11時45分からの東スイのレッスンに出る、なんて、日曜日の朝の過ごし方として、良いじゃない。

と、思うばかりで実践ができず。

もし、スイム仲間やラン仲間で、試してみたいという方がいたら、自分の動機にもなるので、お声掛け下さい。ご案内します。一緒に行きましょう。

■ついでに、過去の坐禅会のmunelogから最近のを2つ。

2013年7月20日Sat.「7月20日Satは坐禅会の後にちょいと寄った。

2012年2月4日「2月の坐禅会と浅草散歩。

ぐっない。

  

2013年11月29日金曜日

11月29日Fri.のアスカコーチ「上級」とAtyへの入会。

■11月29日、はや、11月の平日の最終日。
仕事だよ、仕事。

ここ数日の天候は晴れ。冬型の気圧配置ってやつ。

スクーターも、日が高いうちは、さほど冷たさ寒さを感じずに快適。

■19時15分のメインプールにJust In Time。

前回のアスカコーチは、11月19日火曜日にユウキコーチの代行の「上級」。(「11月19日Tue.のアスカコーチ代行の「上級」」)
東スイの連休前で、「マスターズ」が並びで行われたことにもよる変則的な内容で、いつもの「上級」とは違ったムードで楽しかった。

その前の金曜日は、仕事で出られなかったんだよね。
平日晩のレッスンで、出られなかったのは、7月に入会してから初めて。
これからそういうことは何度もあるんだろうね。
いままでずっと、出続けていられたのが、奇跡的とも言える。

■今回のメニューは、いつもどおり合計1500m。
内容は、いつもどおりいつもどおりではなくて、25mずつの4泳法に、ドリルを混ぜての50mを含めた、基礎のびっしり繰り返しといったところ。

苦手種目ではしっかり息が上がった。
自分だけ?って感じで。

もっと脱力して泳げるよーにならんとねー。

そうそう、肩と背中と両腕の後ろ側がね。ちとおつかれで。
たぶん、これは、20日からの休館日の間にした自主練とか、その間にあった、2度の「木曜泳ごう会」Aクラスでの泳ぎ慣らしとかでの、影響というか成果というか。
筋肉が戻ってくる前触れ。

両腕の後ろ側は、年初〜夏頃に初めてクロールを泳ぎならした頃にそうなって、今回は2度め。
その間に怠けてたわけじゃないから、更にってことだね。

自分のカラダって、高校の剣道部にいたり片道10kmの自転車通学をしていた頃、体脂肪率が下がって筋肉がゴツゴツしてた頃がピークで、
その後のトレーニングでつく筋肉って、その頃のが戻ってくるって感じなんだよね。

まったく新しい筋肉も多少はひきつれて戻ってくるのかもしれんけど。

そして、スポーツによって、戻ってくる部分が異なる。
いまの、これ、水泳体型になってきてる。

2008年から水泳を始めた頃も、自転車レースの名残のある見掛け倒しの体型だったんだが、今はなおさらにそー。

どんなスポーツでも、初心者なのにウェアや道具をビシッと揃えて、自分はカタチから入るからーって言う人いるけど、自分もまた別の形でそーなってる。

■内容をメモる。

アスカコーチは、入水してのドリルのお手本から、プールサイド上からの各個人へのワンポイントアドバイスと、指導が積極的でありがたい。
自分もまた、なんどか指摘をいただいた。
今までにも同じ指摘をもらっていた部分と、そうでないところ。

クロールで両肩が上がるトコ。
腰が落ちるトコ。
平泳ぎのドリルで沈みすぎるトコ。

あれ、それだけか。
あれもこれも、もっとあるはずなんだけれど。実際はそれだけかな。

全体に向けて説明されていても、それ、自分のこととして聞いてるからね。
それらをあげてくとキリがないんでここには書かない。
うんと良い指導、たくさんいただいている。

コーチの足元の、先頭だったんで、戻ってくるとコーチが立ってられて、うまくできてる自信がないから、目を合わせることができない。

言われて無くても言われているよーな感じなんだよね。
以前に泳ごう会も含めて、別のコーチに別のレッスンで指摘されたところも含めて、あちこち悪いのわかってて、あれこれ気をつけて泳いで、ダメかなー、とか思いつつだから。

両肩が上がるのは、それ、前述のように、クロールの筋肉がもうオツカレで。
力を絞り出すために、無意識に両肩が上がっていかり肩になってた。
あぶないあぶない、これ、気が付かないままだと、こういう形にクセがついちゃう。

いまの実力で、たとえば、ここの「マスターズ」などの強度の高いのにムリして出たら、そうやってどんどん崩れちゃうよ、きっと。
筋肉スイムになっちゃう。
無理なくらいのにどんどんでなきゃ、って言う人、多いけれどさ。

■4〜7コースの合計4コース利用の6コースに。
入水してのお手本もこのコースだったんでスゴク良かった。

各コース5名だったかな。金曜の晩にしては、ちょっと多め。

いままでの金曜日には「中級」に出てらした女性が今回はこの「上級」来られたこともあってか、おじさんずも増えてて。
いや、それ、いままでの他のレッスンでもその傾向があって。
ことの是非を言いたいんじゃくて。ブームはF1層の女性がつくるという世間ではありふれたこと。

おばさまずと少女以外の女性は、「初級」〜「上級」までの「イブニングプログラム」では珍しいからね。
同じコースに入られたんで、気が散らないように気をつけた。

コースあたりの人数は多かったけれど、テンポよく進行してまったく支障はなかった。

もうね、レッスン内容は、あれもこれも、引き続きのことだから、ここに書くこと無いよ。
つい、よけいなこと書いちゃうね。そうなると。

■「上級」終了後には入れ替わりに「マスターズ」に参加する面々が、プールサイドにいらっしゃる。
金曜日は、Atyの練習会もあるので、そのかたたちも。

今夜は久しぶりにNさんがその中にいらしたのであいさつ。
以前のメガの仲間は、自分にとっては旧友といっていいほどの親しみがある。会えると嬉しい。
5年前くらいからの数年間でできた仲間たち。

こちらの姿をみて、驚かれていた。
上から下まで視線がなんども行ったり来たり。

出会った頃は、このくらいの体型だったんですよ。
ここ数ヶ月で減ったっていっても3kgくらいだし。

そのことでもまたちょっと嬉しかった。

■終了後は、今やしないとサボった気分になってしまう、ビート板のバタ足を500m。

以前は、強度の高い「上級」のある火曜日と金曜日はしてなかったのに。
いまだに、マシンジムトレーニングは、それ以外の月曜日と水曜日だけにしているのは、時間の余裕の都合もある。

前述のように腕や肩がアレなのと、仕事もちょいと気になったんで早めに切り上げてサウナ5分で風呂。

脚は、もう、最近は、ほとんどいつもアレなんで、気にしていられない感じ。
自転車レース出てた頃と比べればまだまだ。

水泳は、フトモモの後ろにもつくのが特徴かなー。
自転車と比べたら、ふくらはぎを含めたひざ下にはあまりつかないね。臀部にも。



■明日、11月30日土曜日は、休館日。
末尾が0の日が、レッスンのない日で、月末にこうして、休館の日がある。

実は、この日の昼間にそれに気がついた。
そういう場合自分が最初にチェックするのは、メガタバにマスターズがあるか否か。
あるね。ドマスに出るのも手かと。

三菱養和が翌週の日曜日と迫ってきたので、不安の飛び込み練習会を探したら、Aty(公式サイト)のがあるってことで急遽、申し込んだ。
今後の利用も考えて、都度利用ではなく、入会手続きも同時に。

Atyとは、火曜日と金曜日の「上級」でお世話になっている小泉アスカ・ユウキ両コーチのされているチーム。

東スイに入会する前、メガタバにいたころから、その噂は聞いていた。
仲間でもそこのレッスンに出てるひともいてね。
距離も長くて強度の高い練習をする、レベルの高い人達の行くところってイメージがあった。
こんな形で自分にも縁ができるとは、予想だにせず。

ぐっない。

     

2013年5月1日水曜日

Silhouette CAMEOが届いてから使ってみるまでの話。

■またずいぶん期間があいてしまったけれど、3月17日に書いた「カッティングシートを切ってステッカーを作るためにSilhouette CAMEOを買うまでの話。」の続きを書く。

前回のあらすじは端折って、Silhouette CAMEOが、わが新オフィスに届いたのが、2012年5月。

記憶を補完するためにも、ここの載せる写真を選ぶためにも、その年のその月の写真をつらつら見てたら、記憶が蘇ってきて他もいろいろと見てしまって時間を過ごしてしまった。

昨年のこの頃って、10年以上もファミリーで使っていたオフィスを引き払って、それぞれ別になる、ちょうどその頃なんだよね。

実際にオフィスを引き払ったのは6月にずれ込んだけれど、準備は年明けてから徐々に始まっていて、5月のこの頃は、自分のオフィスの転居先になる、自宅の受け入れ体制と整えてた。

こんなふうにね。




父が入院した2008年1月、そして亡くなった2011年7月、そしてその後、「人生の転機」のオンパレードでね。
それぞれに別に文章が書けてしまう。

■日を改めて、気分も新たに、続きを書く。

Amazonから届いたのが、5月18日。


  

設置して、しばらくはそのまま。
いろいろ忙しかったし。

購入は、Amazonが、最も安かった。
本体のみではなく、A4大のカッティングシートが各色ついてくるのがコスパが良かったので、それを。(【期間限定 2013年5月17日15時まで】silhouette cameo シルエットカメオ グラフテック&プレゼント付き
6色のシートの他に転写シートが3枚入ってるから、試しに使ってみようって人は、他に何も買わなくてもOK。
 
自分の場合は、以前にお店のウィンドウディスプレイに使うためにメーター買いしたのが余ってたから、それも使える。

転写シート、転写フィルムとも言うのかな。それは、消耗品としてけっこう使うことがわかったので、追加して購入。(グラフテック 転写シート220mm×10m CR09017-220-R1A)。

■コレを使ってしたいことは、さしあたって2つあった。

2010年12月に入手し社用車として使っているスクーター、HONDA Freeway 250(MF03)(ビッグスクーター資料館 ホンダ・フリーウェイ +絶版車+)のボディにカッコ良く社名を入れることと、新オフィスのための社名プレートをつくること。

実は、そう、自分が以前の勤めを辞めて、父と兄のいる会社に移ってきた時、20年近く前になるのか、その時にも、アクリル板を買ってきて、手作業でカッティングシートを切り抜いて、それを作ったんだ。

予備に買ったガラス色のアクリル板が残っていたから、そこにさて、と考えたら、今度は切り抜いた画用紙を挟み込む形でやったらどうかって思った。
同じではつまらないしね。

で、新オフィスのためのスリッパと一緒にダイソーで、黒、金、銀の画用紙を買ってきた。5月27日だ。

 

アクリル板に保護用についてる紙が剥がれなくて苦労したよー。
普通はピリピリーっと簡単に剥がれるものだけれど、なにせ20年近くも経ってるからね。
水に濡らして、爪でゴシゴシ。指の腹でゴシゴシ。

切って、貼って、こんな感じで出来上がり。



ドアへはマグネットシートでついてるから、取り外し自由。
寒くなるまではドアを開け放っていたから、裏側に付けてこんな感じ。

■その後の作業は、オフィスの引越のあとになった。

そりゃーそうだよね。

こんな状態だったんだからと写真を数点。

旧事務所から出てるのは、ほとんど紙ゴミに捨ててしまったもの。今思うと惜しいものもたくさんある。5月31日。

 

転居先は荷物でいっぱい。これも5月31日。

 

カッティングシートを使って、スクーターに社名を貼ったことについては、別エントリーに続く。

  

2013年3月17日日曜日

カッティングシートを切ってステッカーを作るためにSilhouette CAMEOを買うまでの話。


■2012年の5月に購入して使っている、「Silhouette CAMEO」のレビューをしようと思いつつ先延ばしになっていた。

さて、どこから書き始めよう、そだ、「切り抜く」という言葉から、思い出しながら、

幼い頃から、工作が好きだった。
そういった男の子の通過儀礼として描かれることが多い、目覚まし時計をバラバラにする、なんてのを、誰に教わることなく、通過した自分でもあり。

学校には、図工や技術家庭といった、名前は異なっても図画や工作をさせてくれる科目があって、それを楽しんだ。
小学校では、夏休みの宿題、として、自由工作があったし、高校でも確か、技術家庭の課題としての木工が夏休みの課題になった。

小中学校、高校、その頃の身近な友人たちの複数が、美術系や工学系の進路を選んだのも偶然ではないだろう。

とはいえ、両親をはじめ周囲には自分をそうさせようという意図はなく、自分自身にもそういう進路があるという発想がなかったので、ただただ、学力に応じての普通高校、普通大学に進むという、楽な道を歩んでしまったのは、それはそれで楽しかったけれど、もしもういちど繰り返せるのならば、そこからの別の道を試そうと思う。

■そだ、「切り抜く」ということだったね。

社会人になっても、図画工作の機会はある。
年に一度の「年賀はがき」作り。

毎年、ちょっと工夫をこらした。
白地を生かしたデザインをして、受け取った人が火に炙ったりもした。

そのなかで「切り抜き」をしたことがあった。

カッターナイフでね。
「A Happy New Year!!」って。

そのくらいの文字なら、下書きなし、フリーハンドで切れる。

そんだけ。
裏面に、穴を避けるように宛名と差出人を手書きした。

50枚くらいだったか、100枚くらいだったか。ぜんぶ切り抜いた。

1枚だけ、転居先不明で戻ってきたハガキがあったはずだが、出てきたらここに載せよう。

そういえば、時代を経て、今年のプライベート用の年賀はがきも、プリンタでは表現できないような小細工をしたんだ。
それはまた機会があれば。

■カッティングシートも切った。
千葉県習志野市の書店、日工堂を引き継ぐことになって、カラになった店舗の飾り付けをした。

東急ハンズでメーター売りしてるカッティングシートを買ってきて、プリンタで台紙を作って、それに沿って、カッターナイフでカッティングシートを切った。
こんな感じ。黄色のテントの一部分と、ウィンドウに。

アルバムはここをクリック 2002_1215

アルバムはここをクリック 2003_1216

ついでに、いろいろ切った。会社のロゴマークステッカーを作ったり。
とりあえず、機械の力を借りなくても手作業でなんでもやった。 

2002年か。
なんと、あれから、もう10年も経つのか。
他の写真にはも写ってて、その若さにびびる。
 
 

■それで、手で切るのには、少々飽きた。くたびれた。気が済んだ、とも言える。

それからは、こういった小型のカッティングプロッタに興味を持った。
というか、知ってたけど、ちょっと高い。3万もする。

そんなに頻繁に使うものではないものへの投資としては高い。
手で切れるうちは手で切ろう、という判断だった。

もちろん、購入し導入することで、新たな用途やビジネスに発展していく可能性もある。
何ごとも、そこまで行ってみないと、その先の景色は見えないものだから。
っておおげさか。

いつか、いつか、と思っていて、ようやく購入したのが2012年の5月。

10年腰ってわけか。
長い。長すぎる。
自分の寿命がいくつまでだと思ってるんだか。 

■購入したのはコレ、グラフテック silhouette cameo(シルエットカメオ)

はっきりいって、2社からしか出ていない。

GRAPHTEC(グラフテック)のCRAFT ROBO(クラフト ロボ)と、Roland(ローランド)のSTIKA(スティカ)。
※最近はもう1社からも出てるようだ。

そして、グラフテックから、新型のコレ、silhouette cameo(シルエットカメオ)が発売されたばかりだった。
クラフトロボとは併売の形をとっていたが、あえてそれを買うメリットは無さそうに見えた。

クラフトロボがそうであったように、きっとこれからは、この製品が長く売られ続けられるのではないかと思った。
PCとのインターフェイスの速度も上がっているようだ。もちろん、USB接続が標準になっている。

 

こういう製品は、ハードウェアのスペックだけで比較してはいけない。
ScanSnapのような、ドキュメントスキャナもそうだね。

優劣を決定的にするのは、ドライバソフトの出来だ。それと消耗品が、末永く供給されるであろうこと。

Silhouette CAMEOは、PC側のソフトにドライバをかませることで出力させるのではなく、オリジナルのグラフィックソフトを使う。
インテルマック版が無料でダウンロードできたので、まずそれを試した。

使い慣れたIllustratorのデータが生かせないのは痛いが、操作方法は難しくなく、プロッタがなくてもその動作を想像させてくれる安心できるものだった。

対して、ローランドのステカ。
自分としては、こちらのブランドイメージも信頼に足るもので、グラフテックに勝るとも劣らない。
しかし、いかんせん、この機種は設計が古い。
クラフトロボとの比較であれば、わからなかったが、グラフテックに新型が出ているとなれば、話は別だった。

さて、続きは、また。
次回は届いてから、実際に使ったとこまでかな。

こちら。>Silhouette CAMEOが届いてから使ってみるまでの話。

  

2013年3月11日月曜日

手帳いらずのiPhone&スマホユーザーが使うメモ帳とは。 #NUbord #CamiApp #SHOTNOTE #Evernote


■昨年末からこの手帳を使ってる。

CANSAY ノート型ホワイトボード NUboard (新書判サイズ) NEWバージョン

手帳というか、メモ帳。
新書サイズだ。(メーカー公式サイト

一昨年、2011年の7月の東京ビッグサイトだっただろうか。その前の年だったか。

そこでこの会社の展示に出会って、これこそ、これからの時代にマッチした製品だ!と嬉しくなったんだ。

■スケジュール管理や、住所録、TODOリスト、メモ…手帳をデジタルにしてからもう随分経つ。

古くはPalmから、IBMのOEMのやつ、WorkPad 30Jだったかな、それを、そだ、niftyの売買掲示板で譲ってくれるひとがいたので、世田谷区かどこだかまで道を探しつつ受け取りに行ったんだ。

コンクリートの壁面の小振りなデザインマンションに住む、理工系の職種の、その頃の自分より少しだけ年上の男性だった。

その後、PalmからSONY CLIEまで、いくつもの製品を使い繋いだ。
PalmOSには世話になった。
アレには僕らの思う「未来」があったね。カッコ良かった。

そういう製品は、PDAって言われれたよね。
Personal Digital Assistantの略。→携帯情報端末(Wikipedia)

携帯電話を誰でもが持てない時代の話。

会社でも部署にひとつとか、部長以上だけとか、中小零細の社長さんとか。
担当者レベルは、ポケベルを使ってた。
ポケベルはジョシコーセーの間に広まって新しい利用方法・活用方法が発明されていた。

そんな時代だね。

そういや、それ以前にも自分は、シャープの電子手帳のミニ版みたいな製品を使ってたから、そもそもそういう志向はあったんだね。
住所録の電話番号からピポパ音が送出できて、どこの電話でもダイヤルいらずで便利だった。
そういや、いま、そういうガジェットないよね。
つか、スマフォは電話機能が含まれてるから、いらんのか。笑

■そんなこんなで、Palmがデジタルガジェット好きのアーリーアダプターや、今で言うところのライフハッカーの間を席巻してから、Microsoft社もWindowsCE改めWindows Mobileで巻き返しを図り、Wi-Fi機能付きPDAとか、Wi-FiやPHS通信機能付きPDAとか、中途半端な製品が、各社から続出した。

通話機能を備えるには、電話としての認可が必要とのことで、そのあたりも難しかったらしい。

ハンドヘルドPCなんて言葉もあったね。
みんな、いまiPhoneやiPadやスマホで、電車の中でしてるようなことを、性能の低いガジェットでなんとかしようとしてたし、それなりにはできていた。

インターネットの時代になった。
加速度的にグラフィカルになっていくリッチコンテンツのWebに、どう対応していくのか、各社が工夫をせざるを得なかった。

そして、とうとう、まともに通話できるPDA、つまり、スマートフォン、SHARP & WILLCOM のW-ZERO3 が発売された。

懐かしいね。

自分はすぐには買えず、しばらくしてから、2型の W-ZERO3[es]のホワイトモデルを買った。
サイコーだったね。

それから3型の W-ZERO3 Advanced[es]。
2年の割賦&割引が終わって、また同じ機種に機種変更して使い続けたほど、気に入っていた。

次に使ったのが、iPhone4。2年使って一昨年の秋からiPhone5。

【関連の過去のエントリリスト】
アドエスからアドエスへの機種変更。2010年1月14日木曜日)
アドエスが届いた。(2010年1月15日金曜日)
「ウィルコム新定額プラン」から「ウィルコム定額プラン」への変更。(2010年1月18日月曜日)
土曜日は父の病室。(iPhoneからの初投稿)(2010年8月21日土曜日)
iPhone4とアドエスの使い分け。(2010年9月12日日曜日)
munelogはライフログ。(2012年12月25日火曜日)

■そうやって、古くは、Palmに始まったPDA、そしてiPhoneやスマホが、それまでの電子手帳と根本的に異なるのは、記録したスケジュールや住所録など、すべての情報が、MacやPCでのスケジュール表や住所録と、同期していることだ。

どちらで、追加や修正、削除をしても、どちらにも反映する。
コンパクトな端末を持ち歩き、その都度に入力する最新の情報は、PCやMacで作成される、例えば、年賀ハガキやビジネスレターに、容易に転用できる。

携帯端末やPCやMacを、新機種に買い換えようと、その関係は継続される。

クラウドの時代になり、データの保管場所さえ不要になって、自分の所有の機器でなくてさえ、自分の好きな場所で、好きなプラットフォームで、共有のデータが活用できる。

iPhoneやスマホユーザーは、手帳(ダイアリー)に必要な、スケジュール・住所録・TODO・メモ、の4機能を、電話機に兼ねさせたうえで、それらのデータの更なる有効活用ができる時代になった。

未来が現実になった。

■ガラケーと類される携帯電話(最近は「フィーチャーフォン」とも言う)でも、テンキーを器用に使って、メモをとっている人も相当数いる。

初めてその様子を見た時には、ちょっとびっくりしたけどね。

短期のバイトで入ってくれてた30代の主婦が、作業をしながら、片手で器用にちょいとメモる。

仕事のことでも、買い物のリストでも、なんでも、ちょいと。

件数がそれほど入るものでは無いらしく、古いものから消しては使っているとのことだった。
そもそも、それほど多用すると想定して作られて無かったんだろう。

文字だけでなく、ケータイにしても、スマホにしても、必要ならカメラ機能もあるから、たいていのメモはできてしまうね。

あとで検索できたり、メールやクラウドに送ることで、活用方法が広がる。
そういや、自分のメモや日記を、自分あてのメールにして送信しておく、という利用方法も、ガラケーの時代からあるよね。

それもまた、メーカー側が想定していなかった使い方だと思う。

それぞれが、電話機をその手に持っている時代になった以上、スマホであろうとなかろうと、便利な機能があれば、それを活用しない手はない。

■とはいえ、それとこれとは別で、手書きのメモからも、なかなか離れられない。

ケータイやスマホがあっても、ちょいとメモ用紙が欲しいことがある。

その辺のペラ紙やコピー用紙に書いてしまうと、いざというときにそれが見つからない。

別にメモ帳を持ち歩くのもいいよね。手のひらに収まるくらいの縦型のとかは、使い易いからずいぶん使った。

となると、ペンも忘れないように、身につけとかないとね。

そのメモ帳がどっかにいっちゃうことがある。ペンもだ。

メモ帳が、書き終わって新しいのを追加して複数になる。

いつ、以前のメモが必要になるかわからないから、ぜんぶ持ち歩くことになる。
かさばるし、持ってたからといって、以前のメモがその中に見つからないこともある。

■ならば、アレだ、KINGJIMが発売して、売り切れ続出だったアレ、ショットノート。(メーカー公式サイト

ラインナップされてる様々なサイズのメモ帳を購入して、使う。そこまでは、今までの紙の手帳と同じだ。
そこから、カメラ一発でスマホやiPhoneに収録できるという、アレか。

それとも、アレか、どちらが先とは言えないまでも、製品として発売されたのが後発だけに、様々な改良がされている、KOKUYOのキャミアップ。(メーカー公式サイト

トレンドだよねー。

目移りしちゃう。

■でもさ、たぶんこれらさ、必要なページを撮影してファイリングしていく使い方にならないよ。

どっちかというと、逆だ。

今、自分が、もう、10年近いけど、ScanSnap(メーカー公式サイト)とEvernote(メーカー公式サイト)で、受信FAXはじめいろんな書類をファイリングしてるから想像できる。

たぶん、こうなる。

メモったものの、要らなくなったページから、どんどん撮って、ページを破り捨てる。

手元には、覚え書きとして、参照する可能性があることがメモってあるページだけ残る。

重要だけれど、とりあえず今は使わないものは、判断に困るから、そのままやっぱ残しとく。

そんな運用。

でもさ、手書きメモの要らないページって、そもそもデジタルデータも要らなくない?

撮る手間が無駄じゃん。そのまま消しちゃえば、捨てちゃえば、いいんでないかい。

で、必要なメモ書きは、デジタル保存をしようがしまいが、手元に紙で置いとくよね。

それ、いままでの、紙のメモ帳の管理方法と同じじゃん。
それがきっちりできるようになるという効果はあるけどさ。

ScanSnapは、手書きの情報でなくて、届いた印刷物がほとんどだから、いらなくてもどんどん読み込ませておけば、いつか、そう、今は無駄だと思えるFAXDMだって、役立つことがあるかもしれない。

PDFに変換保存され、クラウドに置かれたデータは、本文中の文字でも検索ができるからね。つっこんどけばいい。

その昔、15年以上も昔、何百万円もするシステムの、企業向けの電子ファイリングシステムを、提案販売していた自分だけどさ。
その頃から、他社が提案するような、単なる電子ファイリングでは「電子のゴミ箱」です。って言ってたよ。
いったん突っ込んだら、出す機会がないし、欲しい情報を的確に取り出す方法もない。
その頃は、本文検索の技術も実用には早かった。

■ならばってことで。
また思い出話が混ざってしまって長くなったが、コレ。

ホワイトボードの手帳。

ページ数が少ないのも整理に良い。
古い情報は消す。

あるいは、iPhoneのカメラで撮影して、愛用しているEvernoteへ。

前述の、KINGJIMのショットノート「SHOTNOTE」とタイアップした製品もある。

ひとそれぞれ、そのひとなりの、活用方法があると思う。
そんな製品。

今、自分が考えているのは、ページ間の透明のページにタグを付けるかして、各ページを用途に分けようと思っている。
最初の1ページをなんでもコーナーとして空けておいて、好きなときに目的別のページに転記しとく。

紙でなくて、ホワイトボードだから、消したり書いたりはお手のものだ。
気付いた時に見なおして、消去、移動。
デジタルみたいだね。

一番コンパクトなのは、自分も買って使ってる、この新書サイズ。
バッグの中で行方不明になるほど小さくもない。
スーツの大きなポケットにぎりぎり入りもする。

B5サイズやA4、A3サイズもある。
iPhoneとiPadの関係のように、サイズが異なるとまた活用方法が変わってくる。

大きなサイズだと、イラストや図なども書けるし、複数人数でのブレインストーミングにも使える、もちろん、プレゼン用にも。

ホワイトボードが、何枚か綴じられて、手帳になった、というだけだが、デジタルの時代だからこそ、コレ、ウケると思う。

  

■追記。
トップの写真の、NUbordの左にあるのが、付属のフェルトペン。
四角いキャップに、イレーサーと、マグネットが付いている。

このマグネットがちょいと曲者で、通帳やカードに悪さをするといけないので、同メーカー同製品の、キャップがノーマルクリップのものを近所の文具店で買ってきた。

1本80円くらいのものだ。
それを、NUbordのホルダーに納めて使っている。

イレーサーがなくても、ちょいと消すくらいは、指先でも、ティッシュやハンカチでもできるからね。

極細のホワイトボード用のペンは、各社から各色出ている。

前述のように、NUbordには、白い両面利用のページに挟まれるように、透明なページがついている。
つまり、重ね書きしたものが、レイヤーとして利用できるってこと。

それと、カラーのペンを合わせると、更に効果的に使えそうだよね。
  

2013年3月3日日曜日

亀田潤一郎著『稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか? 』を借りて読んだ。


■兄は、幼い頃からよく本を読む。同じ環境で生まれ育ったにしては、それほどでもないと思うけど、世間一般から比較すると、自分もまた、そうなのかも知れない。

小中学校の頃から、国語科目では特に、勉強をしたという意識がなくても、学年で上位の成績であり続けていた。
その点ではたぶん、兄よりもそうだったんじゃないかな。それは、幼い頃からの読書の習慣のおかげでないと説明がつかないから、自分もまたそうなんだろう。 

日記を書きなさい、とは、何度も言われた。
兄はつけていたんじゃないかと思うが、自分は、すぐに飽きてしまって数ページしか書かれていない日記ノートをいくつも作った。

それはそれとして、自分から見ても、兄はよく本を読む。
社会人になってからの自分は、仕事で読まざるをえない本以外の本を買って読むということがぐっと少なくなったが、兄は相変わらず、本を消費し続けている。

その中のいくつかを、貸してくれる。

漫画もある。それは、ほとんどが格闘技系。
書籍は、最近は、ほとんどが実用書系。
文芸なきこの現代にも売れ続けている、自己啓発書が多い。

そうやって回ってきた本を、たまには、レビューをしてみようと思う。

■今回紹介する書籍は、亀田潤一郎著『稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?』、自己啓発書ではポピュラーな、サンマーク出版からの本だ。

いっときからのブームとなった新書判ではなく、四六判の本であるが、装丁からいって、それと同等な、軽さ、手軽さ、悪く言えば安っぽさがある。

タイトルは、そうそう、その、新書版で、大ヒットになった山田真哉著『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』光文社に類する、素朴なギモン系。

書籍の全体の内容をタイトルに表現するのではなく、内容のごく一部分のアイキャッチになるような言葉を引き出して、タイトルにしてしまっている。
いわば「釣り」である。
テレビ的というか、インターネット的というか。

あの本が出て以来だと思う、ソレ系のタイトルの本が続出して、氾濫して、既にどこがオリジナルというのではなくて、本のタイトルの付け方の、ひとつのあり方みたいになってしまった。

それがエスカレートして、岩崎夏海著『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 』ダイヤモンド社、みたいな、もしも系の長いタイトルが出現し、書籍のタイトルは長くなるばかりである。

長いタイトルにして、たくさんの言葉を使うことで検索ワードにひっかかりやすいと、どこかで見かけた。
そういう理由もあるのかもしれない。

長いタイトルで思い出すのば、SFのフィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』早川書房ってのが、元祖の気がする。
「?」もついてるしね。
これはそれ以前に有名な本だからパロディ的な本もたくさん出た。

どーでもいいか。そんなん。

■さて、中を読んでみる。

最近の本は、こういった実用書にしろ、文芸書にしろ、見かけほど内容がつまってないから、読みきるのには難はない。
中高生の頃には、こういう本を「スカスカ」と思っていたし、言っていた。

その頃、このくらいの大きさ厚さの「スカスカ」でない「ちゃんとした」本は、いまの倍くらいの値段がした。

デジタル書籍の時代になったら紙代印刷製本代がかからんから、本は安くなるだろう、という意見があるが、同じような大きさ厚さの本が、半額くらいの値段になったのは、要するに、内容の濃さだ。ソレ以外に差はない。
紙代印刷製本代を差し引いても、その差は残る。
しかし残念ながら、中身の詰まった、「スカスカ」ではない立派な書籍たちは、著作権期限切れ、とかでデジタルデータが公開されて、タダで読めてしまったりして、ありがたみがなくなっている。

どうなんだ、それ。

■また話が逸れてしまった。

続きはまた、あとで追記しよう。

前置きで長くなったので、エントリーも分けよう。

いや、内容にひとつも触れないで、ここを終えるのもなんなんで、ひとことでまとめとくとする。

読んでみて害はないし、時間の無駄になるほど時間もかからない。だから、読んで損はないだろう。
いまどきのこういった本からしてみると、ていねいに書かれて、よく編集された、内容の整理された、読みやすい、良い本だ。

著者の苦労話もちょいと出てくるが、そればかりではないし、そういうのは、こういった本の中では少なく、ささやかってくらいだから、苦労話や自慢話を長々と読まされるような本でもないから、不愉快な気持ちにさせられることも無いだろう。

それは心がけだよ。とか、念じれば通じるから念じなさい、とか、そういうバカみたいなことだけしか書いていないような本でもないから、いや、そういうことも書いてあるけどね、それだけじゃないから、読んでみても損はないだろう。

実用として役に立つことが書いてあるかというと、確かに怪しい。その、周辺のことがらが多い。
周辺を整えることで、中心を良くしよう、といえばわかりやすいかな。
もともとが、それほど深みを追求する種類の本ではないからね。自己啓発書だから。

本の体裁をした、ちょいと厚めの字が大きめのパンフレットだと思えばいい。
読んで、なんとなく、やる気になるとか、頭の中がスッキリするとか、長期的には、マジで実用になるかも、という、効果は期待していいと思う。

あ、書いてしまったな。
別にエントリーを起こす必要ないか。

■あとは、読んで欲しい。
1300円+税という金額を、気安く払える立場にあるのなら、あるいは、そのくらいの金額を気安く払えるくらいに、本に馴染んでいる方なら、書店で見かけたら、あるいは、Amazonや楽天で検索して、買ってみて損はないと思う。

その金額があれば、うな重の安いのを食べたいとか、それとの二者択一になるのなら、そこを押してまで勧めはしない。
そういう方は、普段から活字に馴染みがない人だと思う。

そういう方は、こういう、気楽に読めて、なんとなくためになって、気分が良くなる本が、他にもたくさん、身近にある時代なのだから、図書館に行ってみたらどうだろう。あるいは、立ち読みがちょいとできる大きな書店でも。
そこで、この本をみかけたら、手にとってみて欲しい。その他の本もいろいろ、読んでみると、本を読むことが、気楽で、時間もたいしてかからず、気分の良くなる、方法だってことをまず知ってもらえるんじゃないかと思う。

こんなんでレビューになっただろうか。
次に書評を書くときは、もうちょっとマシに書こう。

追記:いや、もともとは、この本の中で、いくつかのココロにヒットした言葉を、メモろうと思ったんだよね。
メモるなら、レビューとしてここに書いとこう、自分自身、折にふれて読み返すのはここだし。
で、書き始めたら、気がついた。
それ、ここに書いてしまったら、数は少ないとしても、ここを読んでくれた方々は、この本を読もう、という気分になるよりもむしろ、この本を読んだ気分になってしまうってこと。
それは自分の本意ではない。それで、こうなった。
今後のレビューにはこの点についても、工夫が必要だね。

2013年2月3日日曜日

2013年1月のRUNのまとめ。と、2008年の初マラソンからの4年間をNIKE+の記録をもとに振り返ってみた。

■2013年も、はや、一ヶ月が過ぎた。

この数年は変動の年だった。いや、それまでの幼年期〜青年期までが安穏としていたのかもしれない。

経営者としても、はや14年の年月が過ぎてしまった。
父が病に倒れてから5年、亡くなってから2年め。
自立できているかというと、厳しい。勤めたほうがどれだけ良いか。

人は一瞬で変われると鎌田實氏は言うが、人間はそう簡単には変わらないというのも真実。
だからこそ本になる。

何事も徐々に徐々に、そのときは無駄と思える試行錯誤を繰り返しながら、どっかに向かっていくのか行かないのか。
日頃念じている方向に向かうと言う人もいるが、結果論でしょ。
そうなれたひとか、そうなりたいひとが、言ってるだけだからアテにはならない。

そんなことしているうちに寿命が尽きるのが人生だと自分は思っている。
そもそも目的地なんてないんだから、何もかも途中で終わる。
これを禅宗ではなんとか言いそうだが自分は知らない。

■2013年。父が亡くなって2回めの正月。
例年通り、母と兄夫婦と共に練馬区で年越しをした。

元旦から走った。朝だけでなく晩にも近くの大きな公園を走った。
1周2.8kmの大きなコースは、信号もなく路面の継ぎ目もなく交通もなく、ときに目をつぶってでも走り続けられるほどの快適さだった。

荒川区の自宅に帰っても、ほぼ毎日走った。プールが開いても走った。
雪が降って中断した。
冷える日が続いた。
18日間も開けて月末に1度走った。

結果、1月は10日、11回走った。
クリックで拡大。NIKE+のサイトはこちら

マラソンをしている仲間からみると、たったそれだけ、だろうが、自分にとっては、最多記録で、走行距離も80kmを超え最長になった。

月に80kmは、猪瀬直樹都知事がノルマとしている距離だ。
楽しみでしていることにノルマを設定することが、楽しみになるか、自分には怪しいのでそれはしないにしても、実感としてどうなのか知ることができた。

なぜ走るか。
体力の衰えを感じているから。

運動は疲れてしまう。カラダを傷める。腹も減る。眠くなる。運動をする体に一度なるとそれをし続けないと太ったり内臓の体調を崩す。
いっそ運動をしないほうが健康を保てるのではないか、と思っていた頃もあったが、スポーツを既に経験してしまっているから手遅れ。

いずれにせよ、スポーツしなくて良い、というのは、日常にそれなりの運動量、基礎代謝があってのことでもあろう。
昨年の6月から、自宅内にオフィスを越してきたので、いよいよ通勤すらなくなってしまった。

意識して、動かないと。
弱る。

■過去の記録も見てみた。
自分のマラソンライフは、2008年1月に、ぶっつけ本番で「谷川真理ハーフマラソン」に参加したことから始まった。
記録をとり始めたのがその年の10月。
2008年はこんな感じ。
10月にたった6.6km。
明細はこう。
NIKE+iPodのテストのための初回の他に2回。この日この日
この年はそれっきり。

10月に「大江戸線ウォーク30km」に出てる
これはマラソンではないが、足腰と全身のトレーニングになった。
また、この年までは、自転車にもちょこちょこ乗っていて、12月には昭和記念公園の東京エンデューロにも出ている
このイベントをレースと言えるのかわからないが、自転車レースの参加はこれが最後になってしまっている。

めまいで倒れて救急車で運ばれて2泊3日入院したのもこの年の11月だった
以後、何ごとにせよ、やるだけやったれと後先を考えず取り組むことは控えるようになった。

■2009年はどうか。
1月に「新宿シティハーフマラソン」に出てる。21kmのはずが12kmしか計測されてないのは操作ミス。
それから5ヶ月、一歩も走ってない。
7月に「コニカミノルタ24時間リレーマラソン」2回出番があって走ってる
8月にメガロス錦糸町の「武藤コーチと走ろう」で猿江恩賜公園を走ったり「ランニング会」で皇居を2周している。
10月は「白井梨マラソン」の10km、「武藤コーチと走ろう」で猿江恩賜公園を8km「第15回手賀沼エコマラソン」のハーフ
メガロス錦糸町のランニング会には他にも参加してると思う。それが数少ない練習の機会だった。
11月に「第31回丹沢湖マラソン」のハーフとちょびちょび。
12月に「お台場海浜マラソン」の8kmとちょぼちょぼ。

つまり、この年は、6つの大会と、メガロス錦糸町の練習会の他には走っていない。
1年12ヶ月のうち、7ヶ月は全く走ってない。
全14回、合計104km。たったこれだけ。
それでもずいぶん増えた。

9月の「大江戸線ウォーク30km」には参加していた。

■2010年は、初のフルマラソンに出た。それが10月の「しまだ大井川マラソン」
その他にもいくつも大会に出てる。
しかしそれでもこれだけしか走ってない。
年間で36回、合計で190km。
前年よりも増えてはいる。

全く走らない月は2ヶ月だけではあるが、そもそも走らない月があること自体ランナーとしてはおかしいでしょ。

それでも、10kmやハーフだけでなく、フルマラソンも走ってる。

フルマラソンの参加を目指して、様々な本や、雑誌の特集があるが、「そんなの関係ね~!」の小島よしおだ。
この程度の練習、じゃないか、この程度に練習していなくても、フルであろうと出てみれば出られるし、走れる。

まずは10kmの出場を目指して、いや、5kmから、なんて話を耳にするけど、練習を始めて半年?1年?そんなにいらない。
ちょっと慣らすだけでじゅうぶんに出られるのを知らないだけだ。ハーフくらいまでなら大丈夫。そう教えてあげたい。

■2011年はこう。
この年で忘れられないのは、3月11日、東日本大震災。
交通機関が止まり、プールやジョギングどころではなかった。
手打ちのエントリはない。そのひのTwitterのログはこちら

年間でたった9回。合計39km。
8月からは全く走ってない。4月も走ってないから、1年のうち6ヶ月は全く走ってない。

7月20日が父の命日になった9月に信州で納骨をした

■そして昨年、2012年。
1月に「谷川真理ハーフマラソン」
6月に「スイカロードレース」10km
7月から、近所のジョギングができるようになった。そう、それまでは仲間との練習会以外、一人ではジムのトレッドミルでしか走れず、外を走ることがごくごく稀だったが、晩に近所に走りに出られるようになった。
8月の下旬には、晩ではなく、朝に走ることができるようになって、ちょっとしたマイブームになり毎朝走った。
そしたら、長続きしなかった。くたびれてしまった。
9月の前半ま再びちょびちょび走り、後半はすっかり走らなくなった。
そのコンディションで月末の「白井梨マラソン」10km。
10月は週に1度くらい5kmランをちょびちょび。下旬には走らなくなって、月末に2年ぶり2度めのフル、「しまだ大井川フルマラソン」。
11月12月はちょびちょび。

この年のトピックはもちろんフルマラソンへの再参加だが、近所を気軽にジョギングできるようになったこともそう。
それによって、大会に出て丸一日をつぶさなくても、それ以上のトレーニングが日常の中でできる見込みが立った。
父の闘病による看護や介護、亡くなったことによる様々な仕事やプライベートの変化で、マラソンも水泳も、大会の参加ができなくなったが、日々走ること、日々泳ぐことが出来れば、そもそも、そんなに大会に出なくても健康の維持向上はできるし、大会で良いタイムを狙うには、というか、そもそもがそっちじゃん。ってこと。

■さて、今年、2013年を現時点で、年間表示するとこれ。
どんな年になるだろう。
なにがどうなっていくか、引き続き激動の年だろう。
なにがどんなになろうとも、体調管理に日々精進して、仕事もプライベートも充実させていきたい。

今年のマラソン、水泳の大会出場の予定については、昨年11月に書いてある。興味があればどうぞ。

上記の記録に使っているNIKE+Runnninngのツールについては、ここにレビューしてあります。

2012年12月25日火曜日

munelogはライフログ。

■munelogにようこそ。

何かしらの検索エンジンからやってきて偶然コレを読まれてる方も、RSSリーダーで読まれてる方も、その他、ごく少ない(10名以下)常連さんも。

このブログ=munelogの大半は、日々のTwitterの自動ログで構成されている。
そして週に1回程度、キーボード入力で作ったエントリーで更新されてる。

それだけ拾い読みされてる方もいると思う。
Twitterのデイリーログって、ほとんどの読者にとっては邪魔なだけだよね。

■キーボード入力でつくられてる更新は、主には、通っている水泳教室「木曜泳ごう会」のレポート。

次に、水泳大会や、マラソン大会の参加レポート。
そして、購入したり、使用している製品などのレポート。

実際はそういうのが検索サイトにひっかかったりしてページビューを稼いでる。

わかっていても、書くのが手間なのでなかなか。

■こういったブログは、2005年の2月から書いている

Yahoo!のブログサービスが始まった頃だと思う。

せっせと更新していたが、毎日更新するつもりが、どんどん遅れていって、しまいには数ヶ月遅れのエントリーを宿題のように書いていた。

結果、数ヶ月書けなかった期間がある。

PCでキーボード入力して、頻繁に更新するのには限界があった。

■ケータイからのメールでのエントリーができるようになって、それから開放された。

写真とタイトルをメール送信して、ブログのエントリを作ることができるようになったのだ。

帰宅してからPCで追記をして更新を完成させていた。

手間をかける余裕がなければ、タイトルと写真だけでも、その日その時の様子があとでわかる。

W-ZERO3[es]を使い始めると、さらに便利になった。

国内スマフォの始祖とも言えるW-ZERO3シリーズには、スライド式のキーボードが内蔵されていた。

外出先で写真を取り、立ったままちょいと入力する時間があれば、タイトルだけでなく本文まで入力したメールを送信することができた。

最強のブログ更新端末。

その時期がmunelogの最も面白い時期だったんじゃないかな。
読者にとっても、筆者にとっても。

■W-ZERO3[es]は、ガジェットファンやケータイマニア、良く言えば、アーリーアダプター層の中で、日本初のスマートフォンとして、一世を風靡したW-ZERO3シリーズの2型。

格安な通話用として、社用にいくつか使っていたWILLCOMのうち1つの契約を使って試用してみたら、前述のように素晴らしかった。

結果、3型のAdvanced[es]=通称「アドエス」まで使用した。

そして、アドエスは、2台使った。

繰り返しになるが、ブログ更新をするという目的では、その後に使用したiPhoneファミリーや試用したAndroidスマフォよりも快適だった。

携帯する通話ガジェットが、ブログ更新のためだけならば、スマフォ全盛の今現在に於いても最強だと思う。
通話品質も良かった。

■Yahoo!ブログのメールでの更新が、WILLCOMのメールアドレスに対応していなかったので、このBloggerに移ってきた

移行に当たっては、その他の主要なブログサービスを同時更新して、比較検討した。

munelogと検索すると、その頃の形跡をいくつも見つけることができる。

■そして、iPhone4。

iPhoneはともかく、iPhone3G、3GSと、まともに使えそうなのが出てきた。
Androidのスマフォも実用になりそうになってきた。

アドエスの使用の継続を、コンテンツのリッチ化が阻んだ。
それは、古くはHP200LX、Palm、パソコン通信が、表舞台から降りていったのと同じ流れだ。

Twitterのアプリがサクサクと動く環境が、まずは欲しかった。

■使うのなら愛着のあったWILLCOMやauでと待っていたが、どちらからも、時代に合わせたまともな製品が発売されなかった。

ADSLで長年お世話になっていたSoftBank、と思えば、それも良いかとMNPした。
結果、孫正義氏はiPhoneでも本気(マジ)だった。

やがてWILLCOMは解約することになる。

■しばらくして不安だった文字入力にも慣れたが、W-ZERO3のように本文まで入力することはムリだとわかった。

いまここで、何をしてる、というエントリを作るには、ケータイ時代のように、写真にタイトルをつけて、メール送信。
なんてこった。逆戻りだ。

しかし、その頃にはTwitterがあった。
Foursquareがあった。

もっと頻繁に、いまここ、を、写真付きで記録することができていた。

さらに、それを1日分まとめて、このブログに自動アップロードすることもできるようになった。

そもそも、いまここ、で、ブログの更新をする必要がなくなった。

■なら、キーボード入力でのブログ更新は、不要ではないか。

いってみりゃ、そーだよね。

でも、少なくなったとはいえ、週に1度は書いている。

なんでだろ。

Twitterのログだけでは記録できないことがらがあるから?

ライフログと言いつつも、読んでもらいたいから?

文章を書くのが好きだから?

そんなとこかな。

※自分なりのライフログツールについては、最近ではこちらにも書いてあるのでご興味の方はどうぞ。


  

2012年9月17日月曜日

9月17日のメガロスマスターズ。の前置き。

■9月17日月曜日の祝日はメガロスマスターズ。

自分が生まれて初めて水泳大会というものに出場したのが2008年9月のこの大会

この,メガロスマスターズには,そのあと,2009年11月2010年11月2011年11月,と,合計4回出場した。
今回で5回目ということになる。

実は,その前,2008年1月にもあって,申し込みをしていたのだが棄権した。
前日に申し込んでいた谷川真理ハーフマラソンに,練習もせずに参加したら,立ち上がれなかった。
その話も,以前のメガマスのレポートのどれかに書いてあると思う。

その後,水泳もマラソンもそれぞれに仲間ができて盛り上がっていく。

■メガマスに4回も出たってのは,よほどのベテランみたいだが,「木曜泳ごう会」に入会して水泳を習い始めたのが2009年7月

それ以前は,習いもせずに,就業後のプールで息抜きにふわふわ浮かんでいた。
その頃に出た大会ってことだ。

小中学校の授業で習ったまま,それも水泳苦手の生徒のレベルで,泊まりで行った遠泳大会(臨海学校って言ったっけ,確か下田,小学校5年かな)も砂浜で遊んでる班だったと記憶しているんだから,泳法については見よう見まねもよいところだ。

そんな自分が,週に1度だけの区の水泳教室にどのくらい通えば,競泳ができるようになるのかはわからないが,そんなんお構いなしに,仲間になった上級者にひっついてどんどん大会に出てきてるってだけのこと。

上の文章の中にリンクをたどって,それぞれのメガマスのレポートからいままでの変遷を振り返ってみるのも面白い。

■自分が初めて水泳大会に出た年,そして初めてマラソン大会に出た年である2008年は,年明け早々から父が入院した年でもある。

その頃には想像もつかなかったことだが,父はそれから3年半をかけて闘病し,入退院を繰り返し手術を繰り返し,母を中心とした家族の献身的な看護介護もむなしく,命を燃やし尽くすことになる。

仕事の上でも,習志野市の大学前に借りていた店舗が老朽化して移転先を探し新店舗を開いたのがこの2月。
ここ4,5年をかけて自分が引き継いできたビジネスで,必要に迫られてもあり,徐々に,新しい機材,新しい優秀なスタッフによる新体制を敷いていた。
病状が良くなったら店だけでも見てもらいたいと思いつつ,結局その機会は無かった。

以前のブログを読み返すと,その頃の自分の思い父や母をはじめ家族の思いが蘇ってきて感慨深い。

※写真は2008年4月3日のもの

■そう,初の水泳大会も,初のマラソン大会も,この年だった。
参加し始めたら,練習や大会に誘ってくれる人がいた。

12月の三菱養和にも出て,2009年の7月に泳ごう会に入会,8月の荒川区民大会,9月の北区民大会。
そして11月,泳ごう会から出た初めての大会である,東久留米市スポーツセンター水泳大会で,初めて50m平泳ぎを50秒を切って47秒で泳いだ。

仲間に加えてもらえて,誘われるままに嬉しくて参加したのが翌年,2010年。
何年も新しい友もつくらずにこもって仕事をしていた自分にとっては,ぱっと花が開いたようだった。

1月の豊島区民大会から12月の三菱養和まで,リレフェスも含めると15もの大会に出た。
月刊SWIMの取材を受けて8月号に載せてもらった

長水路にしても,短水路にしても,半ブレは50秒を必ず切るようになった。

50だけでなく100mに出始めたのもこの年の8月,荒川区民水泳大会だった。短水路1分43秒。

その後,あいかわらず練習時間は少ないながらも,順調に記録を縮めて行くことができた。

10月の千葉マスで100m長水路1分42秒12。(現在のベスト)
11月の東久留米市スポーツセンターで100m短水路1分37秒17。(現在のベスト)

同じく11月のメガロスマスターズで50m短水路44秒98。
始めてここで45秒を切った。ようやく念願の,そしてこれからがスタートだと思った。

明けて2011年,1月に豊島区民水泳大会で50m長水路45秒18。(現在のベスト)
長水路でももう一息のところまで来た。

■2011年には,いよいよ父の病状が悪くなって,遊んでる気分ではなかったが,毎年出ている大会にはできるだけ出た。打ち上げにはまったく出なくなった。

父が亡くなったのが昨年2011年7月。

葬式があって,納骨は9月,10月に1人になった母と兄夫婦が同居するための引越しをした。

8月9月の荒川区民大会,北区民大会は,法事などと重なって出られなかった。

出られた数戦は,50mを48秒台,100mを1分43秒台とがっくり落ちた。

年末にかけて徐々に戻して,短水路で46秒まで戻る,100mは1分40秒を切ることができなかった。

■2012年になっても同様で,1月の豊島区民,CMCでは,長水路とはいえ,48秒,47秒と低迷し,それが今も続いていて,100mでは1分40秒をなかなか切らない。

なぜか,3月のスイムミートで突発的に良い成績が出ている

短水路50を44秒83で1年2ヶ月ぶりにベストタイム更新。
マスターズ公式大会の記録は信ぴょう性がある。

100は1分39秒56と,10ヶ月ぶりに1分40を切った。

この春から夏は,仕事へのあらたなる挑戦が始まっていた。
父は3年半も闘病していたとはいえ,いざ,いなくなると,様々なものに変化が及ぶ。

ファミリーで共同で借りていたオフィスも5月から6月にかけて移転し,バラバラになった。

それにしたがって,仕事の内容もやりかたも変えざるを得なくなるが,どの形が最適かなんてわからない。
いまもまだ模索しつつ日々を過ごしている。

■さて,話を戻す。

9月,はや,秋になった。

1周忌も終わって,落ち着いた頃,ってとこだろうが,実態はそんなわけで,ようやく始まったところという感じだ。

まずは仕事,そして生活,それから,健康管理としてのスポーツ。
まだしばらくはストイックにやろう。
2010年以前に戻った感じか。

9月は都民生涯スポーツ大会があった,同じ月に,東久留米市スポーツセンター水泳大会がある。

豊島区水泳連盟,木曜泳ごう会として出る大会は数が少ないので,ぜひ出たい。
といっても,増えてきたね。入会時は区民大会と都民生涯スポーツ大会の2つだけだったのだが,現在は年に4回ある。

そして,水泳大会出場よりさらに減っているマラソン大会のうちの1つ,白井梨マラソンもある。
そこへ,ここ数年は11月だったメガロスマスターズが割り込んできてしまった。

9月は仕事も忙しい。4月5月の次に忙しい。
出られないかもしれない,と思いつつ,それぞれ申し込みだけはした。

■長い長い前置き。

ここまでで疲れちゃったんで,本編は別に書く