2010年3月14日日曜日

浮くのではなく越えるのだ。沈むのではなくて進むのだ。

■てなわけで水泳から人生を学びつつあるなんてことは言わないけれど、いま平泳ぎでしたいことといえばソレ。

 前から何度もここに書いてるのは、水泳を始めて1年を過ぎ、平泳ぎ50mを飛び込み付ければ50秒を切れるようになったものの、マスターズにでている人たちのボリュームゾーンは40秒から45秒。まだ5秒から10秒も遅い。

 10秒あったら自分でさえ10mも進む。
 25mのプールで10mも差が付いてるのがどのくらいか。
 自分がゴールする前にタイムを確認してプールを上がるのにはじゅうぶんな差だ。いつまでもそんな位置にいるわけにはイカンでしょ。

■これほどの差は、どこがいけない、ってんじゃなくて、泳ぎ方全体が「進まない形」になってると考えるのが適当に思う。

 進もうとする方向に対して、ブレーキになる姿勢をとっているということだ。

 水をかいた手足がそのまま元に戻すなら風呂をかき混ぜているようなもので前には進まない。

 水の中で何をするか。
 水の中に浮かび、水を支えに前に出る。

 右足が沈む前に左足を出し、左足が沈む前に右足を出せれば、水上を歩くことが誰にでもできるってのと似てるような。

■土曜の晩に両親宅に来て一泊、日曜日の午前から昼すぎまで、父を車椅子で光が丘公園に連れ出して歩行練習。

 ある程度歩けるようになってきたのに、先月の胆のうの手術での入院のせいでまた振り出しに戻ってしまっている。

 自分が行くときは母だけのときよりも厳しめを心がける。
 自分も疲れる。

 15時に母の水泳の先生が来るのに相乗りさせてもらう。
 光が丘体育館温水プールで1時間半ほど。
 母がしごかれているのを横目に平泳ぎの自主練習をしていた。
 母は全部で1000mだとのこと。
 自分もそのくらいは泳いだのかな。
 右手首がまだ痛いのでほとんど平泳ぎ。

 こうしているうちに、50秒を切れるようになったときのように、最近では飛び込みが競泳っぽい形でできるようになったときのように、いつかスイスイと45秒くらいで泳げるようになればいいなと思う。

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