■BLOGOS (http://blogos.com/)で最近,フェアトレードが話題になっていて,複数の論客(ブロガー)がそれについて書いている。
自分も思うところがあるので,書き留めてみる。
フェアトレードについて自分はもともとある種のうさんくささを感じていた。
それは,チャリティーについても言えることで,都内の一等地のかっこいいビルの上層階にその事務所があり,整頓された清潔なオフィスで若く美しく身奇麗にして利発そうな男女が,誇らしげに働いている様がテレビにちらとでも映ると,自分はその思いを強くする。
それらは一般庶民の目から見れば,贅沢なレベルではないのか。
彼ら彼女らの給料はどこから出ているのか。そのオフィスの賃料はどこから出ているのか。
■寄付を集め送るにあたり,必要とされる経費を差し引いても良いのは自分も知っている。
街頭で募金箱を胸に寄付を集める方々のうちでは,そのホンの一部だけ申し訳程度に赤十字等に送り,残ったほとんどを自分たちのものとして,その金銭で生活している団体や個人があるというのも知っている。
つまり,被災地や貧困地へというよりも彼ら自体への寄付になってる。
彼らにはそういったことしか生活の糧を得る手段が無いと思えば,それはそれで良いのかもしれない。
知らずに寄付した人たちにとっては詐欺のように思えるかもしれないけれど。
■そういった,寄付を募る人たちが先進国での弱者であり貧困層であるとかでなくて,前述のように,立派な待遇で働いている様子なのは,さてどーなのかと。
彼ら彼女らや親御さんが思われている(想像)ような,社会に貢献する誇らしい仕事なのかと。
チャリティーを頭につけた,コンサートなどのイベントもそうだけどさ。
誰が誰に寄付してるのか。
出演者のギャラは無料です。ってのはよく目に耳にする。
彼らの出演料はまず,寄付されるのね。
その他はさて。
演出や衣装やメイク,小道具大道具,販売される様々な飲食料や商品,会場の賃貸料,警備員。
事前の広告,宣伝,チケットの販売に関わる人達へのコスト。
そもそも,企画し開催した事務局となったところ。
そうった全体の費用を思えば,出演者のギャラなんて微々たるもの。
それ以外の人たちが,通常のビジネスをしていたのなら,いったい誰のためのチャリティーなのか。
チャリティーという掛け声のもとに,彼らに仕事を与え,糧を与えるのが主目的だと自分は考えている。
そういうのを知った上で,この不景気だし,ともあれ寄付はされるわけだし,盛りあげていこう,って思えるのなら,いろんな形で関わるのは良いことだよね。それがチャリティーでありボランティア精神だから。
■さて,フェアトレード。
これもまた,上記のチャリティーと似た構図があると思う。
そもそも,既に世の中のほとんどの商品が,大量に扱われることの効率化によって,高品質で低価格を実現している。
海外の商品の場合,貨幣価値の差などあるけど,キホンは同じ。
大量に扱われることで,商品1つに対して乗ってる経費や利益も低くなる。
小さなところが小さな規模でやろうとすれば,それだけで高くなる。
商品価格に占める,自分たちの取り分の比率が大きくなってしまう。
だから,フェアトレード商品が,通常の流通商品より高くなるのは,その点でまず当然で,高くなった分が原産地の労働者に回るか回らないかは,別のこと。
というか,貨幣価値の差がヒトケタフタケタもあるから,それとは全く別で,ちょいと倍にするとか3倍にするとか,は大勢に影響しないでできることだ。
小規模なビジネスならね。
ただ,大手のビジネスは,効率的で,すなわち,あちこち切り詰めてるから,難しい。価格を上げると競争に負けてしまうという縛りがあるのが大きい。
大手が,フェアトレードと謳って,通常商品の一部を高めに売るのも良いかもしれない。
流通構造をそれだけ変えるのか,収益の中から原産地にバックするかはわからんけど,中小零細のやってる商品ほどには高くなく高品質でより多くの金額が原産地に回せるようにできるのでは。
どっちを買う?
■いずれにしても,フェアトレードをビジネスとしてやってるひとたちは,それで糧を得ているわけで,それで先進国での豊かな暮らしを享受するレベルならば,なんかそう,うさんくさい。
大手が,本業の傍らにというか,バリエーションとして,ブランドとして,そういう志向がある顧客のために一部フェアトレード商品を扱うのなら,わかるけどね。
それはNPOだって同じ事だからね,黒字を出しちゃいけない縛りがあるだけで,事務所を借りたり給料を出すことは株式会社と同じ仕組みなんだから。
■そもそも,チャリティーにせよ,フェアトレードにせよ,自らの生活が他のことで成り立っている人たちが,その事業にボランティアで関わって成立させるのが,うさんくさくない,やり方だと思う。
それは,金持ちしかできないことでもない。
庶民が,それこそ,手弁当で参加することだって珍しくないし,そういう風景は昭和の時代にはよく見かけた。地域の祭りもそうだよね。今もそうかな。
みんなが無料で無償で奉仕してるトコに,自分とこのタオルは正価で買ってね。あ,気持ち値引きさせてもらうね。でもビジネスだから。これで社員が飯食ってるんだから,ってのが,どんどん増えてきて,今のような状態になったんだろうけどさ。
■フェアトレードの話に再び戻る。
流通の問題もあるかもしれない。
商品をそのまま並行輸入してくれば,すごく安くなるってのは,いろんなものである。
その商品が,国内で流通してる商品とまったく同じであれば,みんなそっちを買えばいいだけの話だ。
大きな動きになれば,既存の流通構造が壊れ関わる業者がいくつもポシャる。働いている人たちは仕事にあぶれる。
それもまた競争だから仕方ない。
どちらが,合理的で,効率的かってことだからね。
ただ,多くの場合で,商品は同じではない。
人の手にあまねく渡るまでには,商品自体もそうだし,宣伝や流通やデザインや店舗やサービスや保証など,様々な人々により様々な工夫が施されている。
元は同じなら,安い方を買うのか,高くても手に入りやすく便利でイメージの良い物を買うのか。
それは客が選ぶこと。
■そもそも,フェアトレードは通常商品より高いことが多い。
それは前述のように,主には原産国への払いを高くしたからではなく,それ以外の要素でだ。
彼らだってビジネスでやってる。ボランティアじゃない。
そういうことを知った上で,それが欲しいという人が選べばいい。
正誤とか,善悪とかの基準を持ち込んじゃって,多くの人に広めよう,ともすれば押し付けようとするからややこしくなる。うさんくさくなる。
それこそが,「チャリティービジネス」や,「フェアトレードビジネス」の,拡販手法,宣伝手法であるわけだけれどさ。
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