2010年1月18日月曜日

土曜日と日曜日のメモ。

金曜日の晩に父の顔を見に病室に行ったら,母と帰りに夕食してそれぞれ帰る予定が両親宅(といっても今は母だけなワケだが)に泊まることになった。
 今夜は泊まりに来なくて良い,ということだったので職場からロードバイクで来ちゃったよ。
 それならば来なくて良いと言われたが,身の振り方が柔軟にできるのが独り身のメリットでありアピールポイントなワケだからそんなことではあきらめず帝京大学病院の駐輪場に自転車を置き去りにして母と電車に乗る。
 この寒さの中で薄着でみすぼらしいとか寒々しいとか言われつつ練馬区へ。
 日当たりの少ない古い木造の自分の部屋と違って南向きのマンションは暖かい。
 自分の部屋探しは手間をかけるワリにはヘタないんじゃないかと最近になって思う。
 前回はマンションながら東向き。その前は日が当たる1戸建ての2階を広く専有とはいえ古い木造で冬はとても寒かった。
 いま住んでいるところも広くて更に屋上付きってのにつられてしまった感がある。誰もが予算内で良い場所をと選ぶわけだが妥協点がちとずれているのかも。

■泊まって翌土曜日,午前中のうちに母と電車で病院に向かう。
 昼頃に病室に付いたらベッドで半身を起こした父が昼食を前にしてスプーンを片手にひとりでどうやって食べたものかと目を白黒していた。
 先週末の入院後の数日を点滴での栄養補給で過ごし経口での食事をしばらくしていなかったので1人ではうまく食べれなくなっていた(いまはもう大丈夫)。
 看護師を呼ぼうかどうしようか思っていたところだとのことでグッドタイミング。
 おもゆから再開された父の食事はこのときはもうおかゆと通常に近いおかずが出ていた。
 ブロッコリーとささみとジャガイモとニンジンの煮物を父が「まずい」と何度の言うので少し食べてみたらおいしくて驚いた。病院を建て替えてから何もかもずいぶんと良くなった。
 ステロイド剤の服用をとうとう止めたので父の頬のむくみがとれてすっきりしている。入院してからの2年間はみられなかった以前の顔に近くなった。
 ステロイド剤は胆のうに負担がかかる原因になったが,もともとは髄膜腫の治療や術後に脳内の圧力を下げるのに必要な薬だったのでやむを得なかった。止めたことで脳内に異常が出ないことを願っている。

■父の夕食が終わった頃に兄夫婦が合流,4人で病院内のサロンで午前中に自分も少し手伝って作ったおにぎりや病院内のコンビニで買ったもので昼食。
 帝京大学病院は新病棟に建て替えてからどこも明るく暖かい。
 病室に戻ってしばらく時間調整,14時になり主治医の先生からの説明会になる。
 入院時からその後の経過を見ても典型的な「急性閉塞性胆管炎」であり「胆のう炎」であるのだが,現在は胆管に胆石はみあたらないとのこと。おそらくは胆のうの中に石や砂があるはず。そして,このまま退院してしまえば,何かの拍子でそれらが胆管に出てきて同様の症状で再入院する可能性が高い。この機会に胆のうを切除する手術をするのが良いと思うがどうするか?とのことだった。
 胆のうは必要な臓器であるが無くても生活に支障はでないとのこと。手術は腹腔部に4カ所穴を開けてそこから内視鏡のようなもので行うため大きく切る手術にはならない。また,術後も健常者であれば2日ほどで退院して通常の食事の生活ができる程度のものだとのこと。
 以上の説明を聞いて,父とも相談して手術をしてもらうことに決めた。

 火曜日の院内会議で日程などの詳細が決まるとのこと。その前に脳外科と泌尿器科の担当医とも相談してくれるとのこと。

 終わってしばらく父のそばにいて,兄夫婦が帰り,自分も病院をあとにする。一晩おいた自転車は無事。

■日曜日は昼前に起きて職場,メガタバでプール,そして病院,それから池袋のビックパソコン館,職場。
 この土曜日と日曜日は,千葉国際水泳場でCMCマスターズ水泳大会だった。
 何もなければ新習志野まで自転車でトレーニングがてら応援と見学と観戦と,もしかしたらちょっと泳ぎに行くつもりだった。
 また,日曜日の午前中はメガロス錦糸町で「武藤コーチと猿江恩賜公園を走ろう」だった。ぜんぶやめ。
 時間のやりくり次第では,なんとかなった部分もあるので,行かずにいたのは父の入院のせいだけではない。
 2月はマラソンを3つも申し込んであるし水泳大会もあるので忙しくなる。参加費を払っちゃってある分についてはなんとかクリアしたい。
 少しでも早く父が退院できれば良い。ベッドが長すぎると歩けなくなってしまう。いずれにせよしばらくは歩行訓練がしんどいはず。こういう晴れた日の週末はまた散歩に行こう。

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