2010年7月21日水曜日

仕事を抜けて帝京大学病院へ。

■16時過ぎに父のベッドのあるナースステーションへ。

 両手を拘束されて寝たきりにされている父がいる。
 来たよと言うと目を開けて「助けてくれ」としきりに訴える。

 家族の者がいるあいだだけ拘束をはずしてもらえる。
 あいた手を握る。 

 17時過ぎに母が来るまでの予定が、30分ほどして母がきた。

 入院当初に説明があったきり、1度も主治医に会えていないので不安が募っている母から先生の説明が聞きたいとリクエスト。

 ほどなく副担当の先生がやってきて別室でデータを見ながら話をしてくれるとのこと。

■引き続き自分が父のそばに。
 まもなく口腔外科の診察に出るというのでついて行った。

 続きはまたあとで追記する。
 いまは18時をすぎて職場に戻るトコ。

■続き。
 上記までだと非常に暗い内容で心配くださった皆さんありがとうございます。
 2008年1月の髄膜腫での1度目の入院から脳外科手術を4回,サイバーナイフ施術を2回,今年に入って胆のう摘出術と,2年半で合計7回の手術入院をした父は,今回の肺炎で8回目の入院を余儀なくされました。

 1月の胆のう手術での入院前は介添え付きの歩行ができていたのが,その後は車椅子生活に後戻りして,歩行訓練のやり直しを,もう,何度目かわからないくらいですが,がんばっていた矢先に,今回の入院となって,点滴での栄養補給と寝たきりの1週間,いくら負けん気と忍耐の父でも上記の状態になりました。

 ここで補足しますが,父が歩けないのは,足腰が弱ったせいではありません。脳外科手術によるものです。腫瘍によって,あるいは,腫瘍を取り除くために,小脳の一部の組織が壊れてしまったのです。同様に腕にも記憶の保持や言葉にも障害が出ていますが,カラダが弱っているわけではないのです。

 このあと,口腔外科の診察に自分が同行,これは,飲み下しの能力を確かめるのが主な目的でした。
 飲み下しがうまくできなくなって咳き込むようになっての誤嚥性肺炎,入院後は口からの飲食を止められてしまってるワケで,ますます弱ってしまってるのはトーゼンで,少しでも早く水分だけでも口から入れられるようにしてあげないとと,父はモノを食べることができなくなってしまうと自分は焦っていたのです。
 今回は,再び食べさせることができるか,そのための準備につながる診察でした。

 一方,母が副担当医から聴いた話では,肺炎は快方に向かっているとのこと。
 担当医も副担当医もまったく顔を出してくれていないと思っていたのは,時間が入れ違っていただけのことで,毎日来てくれていたとのこと。治療の今後の予定など聞くことができて,不安が解消したようです。

 これはもちろん父にとっても朗報で,口腔外科に行くために乗った車椅子のまま,景色の見える休憩室にしばらくいさせてもらっているところが,この写真です。
 見舞いに行っても目を閉じたままなかなか開いてくれなかった父が,しっかりと力強く目を開いて,景色を見ていました。

 今後も病状の急変はありえるので油断はできません。今後も母は毎日病院に通いますし,兄夫婦や自分も毎日のように父の顔を見に行きます。

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