■2013年も、はや、一ヶ月が過ぎた。
この数年は変動の年だった。いや、それまでの幼年期〜青年期までが安穏としていたのかもしれない。
経営者としても、はや14年の年月が過ぎてしまった。
父が病に倒れてから5年、亡くなってから2年め。
自立できているかというと、厳しい。勤めたほうがどれだけ良いか。
人は一瞬で変われると鎌田實氏は言うが、人間はそう簡単には変わらないというのも真実。
だからこそ本になる。
何事も徐々に徐々に、そのときは無駄と思える試行錯誤を繰り返しながら、どっかに向かっていくのか行かないのか。
日頃念じている方向に向かうと言う人もいるが、結果論でしょ。
そうなれたひとか、そうなりたいひとが、言ってるだけだからアテにはならない。
そんなことしているうちに寿命が尽きるのが人生だと自分は思っている。
そもそも目的地なんてないんだから、何もかも途中で終わる。
これを禅宗ではなんとか言いそうだが自分は知らない。
■2013年。父が亡くなって2回めの正月。
例年通り、母と兄夫婦と共に練馬区で年越しをした。
元旦から走った。朝だけでなく晩にも近くの大きな公園を走った。
1周2.8kmの大きなコースは、信号もなく路面の継ぎ目もなく交通もなく、ときに目をつぶってでも走り続けられるほどの快適さだった。
荒川区の自宅に帰っても、ほぼ毎日走った。プールが開いても走った。
雪が降って中断した。
冷える日が続いた。
18日間も開けて月末に1度走った。
結果、1月は10日、11回走った。
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マラソンをしている仲間からみると、たったそれだけ、だろうが、自分にとっては、最多記録で、走行距離も80kmを超え最長になった。
月に80kmは、猪瀬直樹都知事がノルマとしている距離だ。
楽しみでしていることにノルマを設定することが、楽しみになるか、自分には怪しいのでそれはしないにしても、実感としてどうなのか知ることができた。
なぜ走るか。
体力の衰えを感じているから。
運動は疲れてしまう。カラダを傷める。腹も減る。眠くなる。運動をする体に一度なるとそれをし続けないと太ったり内臓の体調を崩す。
いっそ運動をしないほうが健康を保てるのではないか、と思っていた頃もあったが、スポーツを既に経験してしまっているから手遅れ。
いずれにせよ、スポーツしなくて良い、というのは、日常にそれなりの運動量、基礎代謝があってのことでもあろう。
昨年の6月から、自宅内にオフィスを越してきたので、いよいよ通勤すらなくなってしまった。
意識して、動かないと。
弱る。
■過去の記録も見てみた。
自分のマラソンライフは、2008年1月に、ぶっつけ本番で「谷川真理ハーフマラソン」に参加したことから始まった。
記録をとり始めたのがその年の10月。
2008年はこんな感じ。
10月にたった6.6km。
明細はこう。
NIKE+iPodのテストのための初回の他に2回。この日とこの日。
この年はそれっきり。
10月に「大江戸線ウォーク30km」に出てる。
これはマラソンではないが、足腰と全身のトレーニングになった。
また、この年までは、自転車にもちょこちょこ乗っていて、12月には昭和記念公園の東京エンデューロにも出ている。
このイベントをレースと言えるのかわからないが、自転車レースの参加はこれが最後になってしまっている。
めまいで倒れて救急車で運ばれて2泊3日入院したのもこの年の11月だった。
以後、何ごとにせよ、やるだけやったれと後先を考えず取り組むことは控えるようになった。
■2009年はどうか。
1月に「新宿シティハーフマラソン」に出てる。21kmのはずが12kmしか計測されてないのは操作ミス。
それから5ヶ月、一歩も走ってない。
7月に「コニカミノルタ24時間リレーマラソン」2回出番があって走ってる。
8月にメガロス錦糸町の「武藤コーチと走ろう」で猿江恩賜公園を走ったりや「ランニング会」で皇居を2周している。。
10月は「白井梨マラソン」の10km、「武藤コーチと走ろう」で猿江恩賜公園を8km、「第15回手賀沼エコマラソン」のハーフ。
メガロス錦糸町のランニング会には他にも参加してると思う。それが数少ない練習の機会だった。
11月に「第31回丹沢湖マラソン」のハーフとちょびちょび。
12月に「お台場海浜マラソン」の8kmとちょぼちょぼ。
つまり、この年は、6つの大会と、メガロス錦糸町の練習会の他には走っていない。
1年12ヶ月のうち、7ヶ月は全く走ってない。
全14回、合計104km。たったこれだけ。
それでもずいぶん増えた。
9月の「大江戸線ウォーク30km」には参加していた。
■2010年は、初のフルマラソンに出た。それが10月の「しまだ大井川マラソン」。
その他にもいくつも大会に出てる。
しかしそれでもこれだけしか走ってない。
年間で36回、合計で190km。
前年よりも増えてはいる。
全く走らない月は2ヶ月だけではあるが、そもそも走らない月があること自体ランナーとしてはおかしいでしょ。
それでも、10kmやハーフだけでなく、フルマラソンも走ってる。
フルマラソンの参加を目指して、様々な本や、雑誌の特集があるが、「そんなの関係ね~!」の小島よしおだ。
この程度の練習、じゃないか、この程度に練習していなくても、フルであろうと出てみれば出られるし、走れる。
まずは10kmの出場を目指して、いや、5kmから、なんて話を耳にするけど、練習を始めて半年?1年?そんなにいらない。
ちょっと慣らすだけでじゅうぶんに出られるのを知らないだけだ。ハーフくらいまでなら大丈夫。そう教えてあげたい。
■2011年はこう。
この年で忘れられないのは、3月11日、東日本大震災。
交通機関が止まり、プールやジョギングどころではなかった。
手打ちのエントリはない。そのひのTwitterのログはこちら。
年間でたった9回。合計39km。
8月からは全く走ってない。4月も走ってないから、1年のうち6ヶ月は全く走ってない。
7月20日が父の命日になった。9月に信州で納骨をした。
■そして昨年、2012年。
1月に「谷川真理ハーフマラソン」
6月に「スイカロードレース」10km
7月から、近所のジョギングができるようになった。そう、それまでは仲間との練習会以外、一人ではジムのトレッドミルでしか走れず、外を走ることがごくごく稀だったが、晩に近所に走りに出られるようになった。
8月の下旬には、晩ではなく、朝に走ることができるようになって、ちょっとしたマイブームになり毎朝走った。
そしたら、長続きしなかった。くたびれてしまった。
9月の前半ま再びちょびちょび走り、後半はすっかり走らなくなった。
そのコンディションで月末の「白井梨マラソン」10km。
10月は週に1度くらい5kmランをちょびちょび。下旬には走らなくなって、月末に2年ぶり2度めのフル、「しまだ大井川フルマラソン」。
11月12月はちょびちょび。
この年のトピックはもちろんフルマラソンへの再参加だが、近所を気軽にジョギングできるようになったこともそう。
それによって、大会に出て丸一日をつぶさなくても、それ以上のトレーニングが日常の中でできる見込みが立った。
父の闘病による看護や介護、亡くなったことによる様々な仕事やプライベートの変化で、マラソンも水泳も、大会の参加ができなくなったが、日々走ること、日々泳ぐことが出来れば、そもそも、そんなに大会に出なくても健康の維持向上はできるし、大会で良いタイムを狙うには、というか、そもそもがそっちじゃん。ってこと。
■さて、今年、2013年を現時点で、年間表示するとこれ。
どんな年になるだろう。
なにがどうなっていくか、引き続き激動の年だろう。
なにがどんなになろうとも、体調管理に日々精進して、仕事もプライベートも充実させていきたい。
今年のマラソン、水泳の大会出場の予定については、昨年11月に書いてある。興味があればどうぞ。
上記の記録に使っているNIKE+Runnninngのツールについては、ここにレビューしてあります。
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